堀(前)理事長の急逝を悼んで

工業会事務局 絹谷 信博(M45)

 堀先生は今年春の叙勲にて「瑞宝中綬章」の受章が決まり、新聞等にも発表され、伝達式のため奥様と東京へ向かう用意をしておられました。また、工業会全国総会、支部総会へ出席の段取り、さらにそのあとの祝賀会の準備で忙しくしておられました。
5/17(土) 工業会本部理事会が100周年記念館で催されました。出席者に受賞の喜びを嬉しそうに語っておられました。その2日後の5/19夜半 自宅にて倒れ、救急搬送。5/21の受章伝達式に東京へ向かう直前のことでした。以後、意識を取り戻すことなく、6/2に永眠されました。78歳9ヵ月の生涯でした。
 堀理事長が病院に入院されたことを知ってから回復を願う毎日でしたが、とうとう帰らぬ人となってしまいました。誠に残念で、悔しくてなりません。神さまがおられるなら、なんでもう少し待ってもらえなかったのか、腹立たしささえ覚えました。また、ご自身の生涯を賭けた研究である「水を使わない染色技術」が、「大阪・関西万博」のお盆の期間中に出展が決まり、張り切っておられた矢先のことで、衝撃が大き過ぎてとても言葉では言い表わせません。
 堀先生は他にも、繊維技術活性化協会の理事長として、またサステナテック(株)の代表取締役として、世界を相手に活躍されておられました。日本語より上手といわれるお得意のドイツ語を初めとした語学力で、海外とのWeb会議にも日本代表として出席、堂々と議論を交わされておられました。
 また工学部は昨年、100周年を迎え、次のステップに向かい飛び立ちました。「福井大学工業会」 は工学部の同窓会として、工学部の100周年を全面的にサポート、堀理事長自ら2万5千人を超える会員を初め、工業会の協力会社にも呼びかけをし、結果、100周年募金に多額の寄付を集め、貢献することができました。
 さらには、2024年9月に「福井大学校友会」が創設しました。当初、大学から「スタート時は大所帯の工業会が引っ張って行って欲しい」との要請があり、校友会会長には堀理事長、理事に絹谷が就任し、任期は2027年度末ということで走り始めました。4月の理事会後、 「校友会の礎を任期中に築きましょう」と、2人で決意したばかりでした。
 同級生の一人は彼を「イエスマン」という。人から頼まれると「ノーと云えない」。いや、実はしっかり受け入れていて、順番に仕事をこなした結果、あとになってでも頼まれ事を実行する。「ノーと云わない堀先生」のキャパの大きさが分かる。
 本年6月の全国定期総会三国大会は、「亡き堀 理事長を偲ぶ会」でもあった。また、7月の「福の井会総会」も同様であった。「福の井会懇親会」で「フルート&ピアノデュオ演奏による追悼コンサート」を催し、みんなで亡き理事長を偲びました。最後に「サライ」をみんなで合唱しました。
 堀先生は大学入学以来 、牧の島の大学キャンパスへ毎日通学そして出勤し、今年でなんと60年になりました。「絹谷さん、60年もこんなに一途な人生を送っている人は、他にはいないですよ!」 と誇らしく 、満足そうにおっしゃっていた姿は、私の大切な宝物となってしまいました。堀 照夫さん、ありがとうございました。そして、ごゆっくりお休みください。

工学部100周年でお祝いの挨拶

(故) 轟産業 酒井会長(大学の栄誉学賓)の墓前に執行部役員で
100周年の事業報告(後方は明石(前)工学部長)

世界に先駆けた染色技術の研究開発について熱く語る

最後にみんなで 「サライ」を合唱。“瞼閉じれば 浮かぶ・・・・・”

恩師 堀 照夫 先生を偲んで

繊維先端工学講座 教授 廣垣 和正

 (前)理事長・名誉教授 堀 照夫 先生が2025年6月2日にご逝去されました。先生の教え子として、教員・研究者の後輩として、謹んで哀悼の意を表します。
 先生との出会いは、私が福井大学に入学した1997年の4月になります。先生は、工学部生物化学工学科の教授として教鞭を執っておられました。当時、ご担当されていた界面化学の講義を受け、先生が説明される化学現象を物理的に記述する面白さに惹かれ、先生の研究室を志望しました。2000年4月に先生の研究室に配属され、以来、25年に渡り、学生として、教員として、お傍でご指導を賜りました。

[福井大学と中国の大学との交流に合わせて、研究室の皆を連れて行ってくださいました]
「写真は、杭州の西湖にて。 2001年11月」
堀先生(後列真ん中)、廣垣(当時M1、前列真ん中)

先生の教育は、「やって見せる、やらせてみせる」というものでした。ご自身の仕事のやり方を示されたうえで、私達に様々な経験や挑戦をする場を与えてくださいました。いつも自由にやらせてくださり、要所ではそれとなく助けてくださる。そのような教育で、教員として研究者として成長に導いてくださり、自覚や自信を与えてくださいました。今も、重要な場では、先生ならどう考えるだろうか、どう判断されるだろうか、私の価値観の礎となっています。
2024年に福井大学工学部が100周年を迎えました。先生がご専門とされた染色化学の研究室は、工学部の前身となる福井高等工業学校の開設時から存在し、代々、教え子が研究室を引き継いで100年を超える歴史を紡いできました。奇しくも節目となる101年目に、私が教授へ昇格しました。そのお祝いの席で、先生が継承して発展させてきた染色化学の歴史を大切にしつつ、新たな領域へ発展させていきたいと表明すると、先生は、人目もはばからず涙を流して喜んでくださいました。先生の教え子に対する慈愛は大きく、いつも教え子の活躍をご自身のことのように喜んでくださいました。

堀 研究室(工学部生物応用化学科 応用物理化学研究室)
廣垣が教員となって福井大学に戻ってきた懇親会後の集合写真。H21年度4月

 先生が、ご自宅で突然倒れられ、享年78歳でご逝去なさいました。直前まで一緒にお仕事をさせていただいておりました。これからも、我々を温かく見守ってくださるものと、信じて疑いませんでしたが、それは叶いません。研究者として、教育者として、偉大な先生の後を引継いでいくのは容易ではございません。しかしながら、先生にご心配をおかけすることがあってはなりません。染色化学は古い学問領域と見なされ、その取り巻く環境は決して明るいものではございません。先生の教えを胸に、どんな困難も乗り越え、この学問分野を護り発展させていく所存でございます。先生、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。